第6話 復路鵜様著


 がさがさ、ごぞごぞ、じゃくじゃく、ごうごう。音で満ちた森を通り抜ける。木々の隙間を超えて、突き出た木の根を超えて、奥へ奥へ。
 やがて俺の目に、目的のものが見えてきた。森のずっと奥にある巨木、山みたいに見えなくもないその麓に、それは落ちていた。躊躇わず拾い上げると汚れを手で少し落とし、来た道を戻る。
 道でない道を歩きながら、過去の机に閉まっていた記憶が、次々取り出されて行くのを噛みしめる。少女と食べた野いちご、歩きまわった野原、交わした取留めもなく、楽しくかった話。そして木漏れ日の捕まえ方。しんみりしてきたので、早足になった。木々の光がオレンジ色に変化していくのを、歩きながらなんとなく眺めていた。
「ありがとう」陶器の彼女は野いちご畑の端、大きな木の下で待っていた。ワンピースが穏やかに揺れる。その横には邦彦が恨めしそうな目でこっちを見ている。危ないと思った彼女が呼んだのか、自力で脱出したのか。
 なぜだか、それを見て少し胸が痛くなった。
「助けて欲しかったのはこのぬいぐるみか?」置いてくなんてひどいよバカバカ、と言いながら俺を叩く邦彦に構わず、聞く。
「うん。私と同じ……誰かが捨てたんだと思う。だけど私と違って、この子は森のずっと奥に放り出された。だからずっと一人で泣いてた。私はあそこまで行けないから、誰かに頼むしかなくて。本当にありがとう」かたっぽの目がない熊のぬいぐるみを俺から受け取ると、彼女は嬉しそうに頬ずりした。その仕草は本当に年頃の女の子だ。
「変わってないな、あんたは。今も昔も」
「ええ。でもあなたは大きくなったし、それにその子……ふふ、昔のあなたにちょっと似てる。弟くんよね?」
「悪いが従弟だ。こんなのに似てるなんて心外だな」
 それを聞いた邦彦が「なんだとー!」と怒りを顕にしてパンチパンチキック。おい、足やめろ足。本気で痛い。
 俺と邦彦を見比べた彼女が顔の表情を緩めた。赤い唇がゆっくり弧を描いて、なぜだか知らないが心の中が熱くなる。
「兄ちゃん、顔赤くない?」邦彦が訳の分からないことを言ったので、俺はすかさず頭を叩いた。
「いったー! もー、頭悪くなったらどうすんのさ! にぃちゃんひどい!」
「うるさい。…………ところで、そろそろ帰ろうと思う。日が暮れたら出るの面倒になるし、両親に心配かけたくないしな。えーと、その…………また、ここ、来てもいいか?」
「ふふ、あなたがそうしたいなら……でも、もう人間の姿は取らないと思う。人が噂してるみたいだし、静かな方がいいから」それにこの子もいるから寂しくないしね、とぬいぐるみを撫でる。「今度はこの子に、木漏れ日の捕まえ方、教えなきゃ」
「そんなん教えなくても自力でどうにかすると思うけどな」
「あら、あなたは教えないと分からなかったわよ? 一人でやってみて、って言ったらできなくて最後にはイジけちゃったし。機嫌直すの苦労したわ。野いちご十個分」
「……帰る」邦彦の手を引こうとした途端、待って、と彼女が言った。
「そろそろ時間ね。上、見てみて」
 上? と俺たちは揃って首を上げて、その眩しさに目が震えた。
 そこには木々が作り上げた穴だらけのドームの天井が広がっていて。
 無数の葉と葉の合間から、天井の隙間と隙間から光が降っていて。
 金と銀と白金を混ぜあわせた、月のような神秘的なものが、ずっと昔に人形の少女が教えてくれた、最高の景色が目の前にあって。
 思わず僕は、指で光を閉じ込めて、その眩しさに一粒涙を流していた。
 それを邦彦に見られなくて良かったと思う。

 

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