「たいせつなこと。」

 


 

 きっかけは彼が毛玉とりに失敗して毛糸を切り、マフラーに穴をあけてしまったことだった。     

私が編んであげたマフラーだ。

大きく広がっていく穴を見て逆上した私が、洗っていたコーヒーカップを落として割ってしまった。

彼が私たちのためにペアで買ったカップだ。

彼も逆上し、私たちは言い争いになった。

マフラーとコーヒーカップが使い物にならなくなったことは、取り返しようもない最悪の過ちだとお互いに思っていた。

 知り合ってから2年、一緒に住み始めてから1年半。

私たちは何かというと、出会った頃のことを持ち出して口喧嘩をすることが多くなっていた。

「出会った頃はおとなしくてかわいかったのに」と彼が言えば、

「あなたも優しかった。今とは別人」と私は言い返した。

飛び交う鋭い刃のような言葉たちから逃げるように、私はうちを飛び出した。



 気付いたら2駅分、歩いてきていた。

久しぶりに訪れる、彼と知り合った街。

 自然に思い出の場所へと足が向いた。

2人でよく行った喫茶店がなくなっていた。

その向かいにあった彼がコーヒーカップを買った雑貨屋さんはお弁当屋さんになっていた。

さらに歩いていくと、2人でお花見に来た公園があった。

ベンチに腰を下ろしてまわりを見回す。

春には桜がきれいな公園。今は花の面影すらない木々が並んでいる。

吐く息は白く、私はやわらかい陽射しの中、不思議な感覚に包まれ目をつぶった。

「思い出を大切にしていきたいね」

 と、お花見をしながら言い出したのは、どっちだっただろう。

どっちだったにしろ、とにかく2人は賛成した。それはステキなことだと思っていた。

でも私たちは何か間違ってない?

 思い出にこだわって、過去ばかり振り返り、言い合う日々。

思い出たちはそれぞれ姿を変えているのに。私たちだけがそれらにしがみついている。

 違う、気付け、と姿を変えた思い出たちが私に訴えかけている。

 その時、ポケットに入れていた携帯電話がプルプルと振動した。

届いたメールに目を通す。自然に口元がにんまり、ゆるんでしまった。

 こそばゆくなるようなメール、送ってきちゃって。でもちょうど私も同じ気持ちだった。気が合うね。

『僕らは思い出だけに支えられて一緒にいるわけじゃない』

 うん、と私は頷き、立ち上がった。

そしてもう1度公園を見回した。

深呼吸をする。

  帰ろう。大切な人が待つ場所へ。


Copyright(C)2005 MOON VILLAGE. All rights reserved.


MENU